ひろげていこう 発達障害のWA!~「困ってる子」という視点からの支援~

アスペルガー症候群やADHD、学習障害、自閉症などの発達障害の子は、困らせる子じゃない「困ってる子」。その視点から困ってることを解決する支援のヒントや工夫を考え、もっと発達障害の子たちから見えてる世界によりそっていきましょう!

「どうせ何を言っても無駄…」という学習性無力感に苦しむ発達障害の人たち

「学習性無力感」って耳にしたことがありますか?

精神的に追い込まれた状況から逃げようと試みたり抵抗しようとしたりしても状況を変える事ができず、「何をしても意味がない」ということを学習し、その苦しい状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象のことなんです。

 

発達障害のある子は、なかなか自分が困っていることに気づいてもらえず、また自分がなぜ困っているのかも自分ではわからない事が多いんですよね。だから自分にとって嫌な事、わからない事、不安な事が起こった時に、その困った状況を言葉で伝えられず、代わりにそれらを回避しよう・防ごうという行動を起こします。

これがいわゆる「問題行動」とレッテルを貼られてしまっている行動なんですよね。

でも、その行動は、「わかってもらいたい何か」「回避したい何か」があることの現れなんですよね。でもそれに気づいてもらえない…。

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 発達障害の子の事を、「じっと座ってられない子」「パニックを起こす子」「我慢が足りない子」等々、『クラスで他の子や先生を困らせる子』と考えている人は残念ながら多いと思います。 

でも「困らせる子=発達障害」というのは誤った認識なんですよ。

行動だけを表面的に見れば確かに「困らせる子」ですね。でも実際は、この子達は「困らせる子」じゃなく「困ってる子」なんです。

発達障害の子たちの不適切ととられる行動は、実は彼らの「困ってること」の表れで、SOSのサインなんですよ。助けてほしい「心の叫び」です。 

発達障害の子の一見不適切と受け取られる行動。実はSOSの発信なんですよ

例えば授業中立ち歩く子の場合、彼らは授業を妨害したいわけではありません。困ってるんです。 

例をあげてみましょう。

A君は、先の見通しを持つのがとても苦手です。目で見て何が行われているのかわかるように示してあげれば、安心してクラスに参加できます。しかし先生が言葉の説明だけで授業を進めると、理解できず不安になってきます。そして不安からパニックを起こしたり、その場から逃げ出すように席を立ってしまうんです。 

Bさんは、その時に必要な音と必要でない音を選ぶのが難しい聴覚の特徴を持っています。黒板にチョークで字を書く音も、先生が話す声も、隣の子たちがおしゃべりする声も、どこかのクラスで笛の練習をしている音も、すべて一斉に聞こえてしまうんです。音の種類によっては耳が突き刺さるように痛くなって耳をふさいだり、イライラしたり、その場にいられず教室を飛び出してしまう事もあります。 

Cさんは、とても興味の範囲が広い子で、目にしたこと、耳に入った音などの刺激に興味や注意が移りやすい子です。教室の窓の外の運動場から大きな音が聞こえると、見に行かずにはいられません。それは決して授業中に立ち歩いてはいけないというルールを意図的に無視しようとしたり理解していないのではなく、気が付いた時にはもう興味のある物や刺激にひとりでに体が反応してしまうわけです。 

発達障害への理解のない環境では、この子たちの行動は「不適切」と判断され「席に戻りなさい」と叱責させるでしょう。でもそれでこの子たちの抱える問題は解決しますか? NOですよね。だから同じ事の繰り返しになってしまいます。そしてまた叱られます。そして我慢が足りない子、しつけができてない子、努力が足りない子...そんな風にレッテルを貼られます。

でもね、彼らの「立ち歩く」という行動は、彼らのSOS、すなわち「こころの叫び」なんですよ。 

  • A君は、「僕わからなくて不安なんだよ。わかるように説明して~!」
  • Bさんは、「この辛い音から私を助けて~!」
  • Cさんは、「授業に集中したいから、余計な刺激を減らして~!」  

というSOSをそれぞれ発してるわけです。発達障害の子達が発するSOS・こころの叫びは、「私達にわかる方法で伝えてください・私たちは困ってるんです」というサインなんです。

でも、発達障害への理解がない環境の中では、彼らのSOSは無視され否定され続け、おまけに咎められます。そんな中で彼らはどんな思いをすると思いますか?

「自分は悪い子だ」「自分なんか...」と自信をなくし、自分を責めるんです。そしてまた「誰も私のことなんかわかってくれない…。だからもう何を言っても無駄」だというようにただただ無気力に周囲に流されるがままになってしまうんですよね。これが「学習性無力感 (Learned Helplessness)」です。

「自分が何か訴えたところで、何も状況は変わらない。何をやっても無駄。だったら何も行動を起こさないで、言われるがまま苦痛に耐えよう…」

口うるさく注意されていた子が、いつの間にか口ごたえもせずこんな風に従順に指示に従うようになったら、指導者にしてみれば、「しめたもの」かもしれません。

でも、発達障害の子たちのこころの叫びは否定され、心は傷つけられ、ただただ無気力になるしかないんですよね。こういた学習性無力感は、二次障害につながるとっても危険なこころの状態です。

発達障害の二次障害を併せ持った子たちは、不登校や引きこもりといったような行動上の苦しみだけでなく、チックなどの身体的な苦しみ、不安障害やうつなどの気分障害といった精神医学的な苦しみも併せ持っている事が多いんです。彼らが適切に対処してもらえなかったSOS・こころの叫びは、彼らのこころを傷つけ、そしてその傷ついたこころに苦しめ続けられています。

 

 発達障害からくる特性はうまく付き合っていくものなんですが、二次障害は防ぐべきものなんですよね。

そう、二次障害は防げます。

その為に必要なのは、周囲の発達障害への理解なんです。

 

発達障害の子は「手を焼かせる子」「困らせる子」ではなく「困ってる子」。だから『何に困っているのか』『どうしてほしいのか?』にアプローチする事を問題解決の糸口にしてもらえたらなって思います。

また、「学習性無気力」になった子達に「なんとかやる気をださせる」というのは何の解決にもなりません。なぜ学習性無気力を起こしたのか?それは「自分の心のさけびをきいてもらえなかった」ことが原因ですよね。

だから、「自分が苦しんでいる事に気づいてもらえること」「その苦しみに耳を傾けてくれる人がいること」「その状況をなんとかしようとしてくれる人」の存在が学習性無気力からの脱出には必要だと思うんですよね。

「繰り返し言ってればそのうちわかるだろう」「我慢してるうちに慣れるだろう」そういう一方通行の関わり方ではなく、「その子がわかる方法」を見つけようとしてみてください。きっとそれが「困らされてる人」「困ってる発達障害の人」の両方にとってWin-Winの解決方法だと思います。

 

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この記事は、2016年2月26日にHUFFPOSTに掲載された記事【SOSを否定され続ける発達障害の子供たち~社会の理解で救えるこころの傷~】に加筆修正したものです。